作者レポート

日本人の信仰と宗教

現代の日本人、私たちは信仰と宗教を分けて考えた方が理解しやすいと思います。祖霊信仰は有史以前から私たちの生活習慣の中で根付き、言葉や年中行事の中で今も生きています。「いただきます」や「ごちそうさま」「おかげさま」などほかにもたくさんありますが全て信仰の中から生まれた言葉です。

 農耕を主とした民族ですから、太陽から草に至るまで神の存在を信じ。たくさんの神々を信仰し程よく、仲良く付き合うことで米や野菜を育てることができ食にありつけた訳です。農耕を主とした生活ですから一人では生きていけないことは百も承知で種族ごとに村を作り氏神(祖霊)を信仰していました。 聖徳太子の言葉の中で「和をもって尊しとなす」は日本人の根源的な生活態度を表しています。

 後に伝わった仏教の仏たちも八百万の神々の一つに加わっただけの事です。そして神仏混合(本地垂迹説)の時代が明治まで続くわけです。

 さて、寺の存在とはどうだったのでしょうか。仏教が一部の権力者の物であった室町時代まで(善光寺は除く)、個人の修行者の研鑽の場所でした。大衆に広まったのは浄土教を中心と考える法然一派の出現です。弟子には親鸞、道元、日蓮、一遍などがいます。そして、浄土信仰を中心として彼らの弟子たちが大衆に広めていったわけです。

それと同時に各宗派ごとに寺院も建立されていったわけです。これには、江戸時代に寺社奉行を中心とした寺請制度(檀家制度)や寺子屋なども大きな後押しになりました。要するに寺が戸籍管理や教育を行っていたわけです。当初は葬式に寺院は関与していませんでした。

明治以降その職を公務員に奪われた寺は葬式仏教に転換し生き残っています。戸籍管理から死者の管理に職替えしたわけです。地方の寺院にはまだまだ檀家制度が残っていますが都市部ではその形態が崩れてきています。

 

改めて私達日本人は無宗教なのでしょうか。そんなことはありませんよね。先祖のいない人はいませんし「自分一人で生まれてきて勝手気ままにに生きている」なんて考える人もそうはいません。まだまだ「多くの先祖や地域の人々に支えられそのお陰で生かされている」と考える人が多いはずです。その先祖や地域行事をしっかりと後世に伝えていくことが、その家族や地域の核になります。家族が生きていくうえで、地域を後世に残すうえでの誇りであったり悪事へのストッパーであったりします。

信仰も宗教も一体となって生活の一部となっていることをもう一度再確認し、自分は家族はどのように先祖を後世に伝えていったらよいのか。今の自分の生活の中で考えていきたいものです。

 

あとがき

日本人の本来の信仰を知ることはとても大切なことですが、残念ながら今や学校はおろか社会でも教えてくれる環境がありません。一昔前は大家族の中でお年寄りが,地域の中で大人が教えてくれました。さてこの後日本人はどこに行くのか・・・・ 

筆者:藤澤慎一

如の世界観


私たちが普段何気なく呼んでいる名詞は いったいいつ誰が付けたのでしょうか?

如の世界では全ての名前に如が付きます。

たとえば

山のごとし(如):土が盛り上がっている塊ですか?

海のごとし(如):大きな水たまりですか?

人のごとし(如):生き物の一つですか?

地球上の全てのもの、宇宙も含めて如の塊ですね 。

その全てを真如と言うそうです 。

私も如のなかにいて如の一つですね

では、私はどこから生まれてきたのでしょうか。 如の塊の中から生まれてきたんですね。如の塊から生まれてきたモノを如来と言うそうです。 私は藤澤如来ですか!

如の中から生まれてきたものは全て如来です。

宇宙全体は・・・、如の塊・・・、真如ですから真如如来ですか。

如来はどんなモノでも必ず何かの役目を持っています。

その役目を終えたとき真如に戻っていきます。如去と言います。

では次に 如の塊を構成しているモノの中で共通しているものがあります。

何かというと 地水火風の4つになります。言い換えると 土、水、太陽の熱、空気になります。真如の中では全てがこの4つを共有しています。 この4つを含めた真如をと言うそうです {お位牌の戒名の上に空と書くのはこの意味ですね}

さて、 そうすると全ての如の塊は空如来と言うことになります サンスクリット語で空はビルシャナとかルシャナと言います 。

空 如来はビルシャナ如来、ルシャナ如来になりますね これは阿弥陀如来のことです。 日本に仏教が伝わった頃輸入された最初の仏像がビルシャナ仏です 。空如来を形にしたモノですね(本来は形のないものです)。 一目見ただけで宇宙を含めた全ての如の世界が見えてくる、そんな仏像です。(阿弥陀仏を作るときの基本ですね)

当時の仏教では死後輪廻転生が基本ですから、空の世界では生まれてくるのを待っている如来の卵がたくさんいます 。如来になるまで修行しているのだそうです。そして、如来の卵達は親を選んで生まれてきます。

(私は子供達が産まれてきた時、私を選んでくれてありがとうと心の中でつぶやきます)

つまり人でも、他の生き物でも、どんなものでも、この世に如来として生まれてきたからには 何かの役目を背負っているのだと思うのです。

筆者:藤澤しんいち

続 如の世界観

 

如の世界では真如、地水火風を含めて「空」と言います。宇宙全体のことですね。それに対して山とか木とか土とか言っている物体を「色」と言います。と言うことは「色」が集まって「空」となっているわけですから「色即是空」、「空」はと言えば「色」によって構成されているわけですから「空即是色」と言うことになるのです。私は「如」から生まれてきたから如来です、ところが死ねばばらばらになり空の中に戻ってしまう。如に帰る「如去」です。私は如来でもあるし如去でもあるのですね。

さて、全ての物は如来ですから太陽も私も同じ仏だと言えても、大きな差がありますね。仏という名のもとでは平等ですが私は他の仏から助けてもらわなければ生きていけません。たとえば土という仏から出来た菜っ葉を食べて生きています。菜っ葉も如来という仏ですから菜っ葉に食べて良いか了解を得なければいけませんね。了承して頂いて、そこで初めて食べられる。その時私にとって菜っ葉は「菩薩」になります。つまり菜っ葉の如来が身を犠牲にして食べさせてくれたことで菩薩に変身(仮面ライダーみたい)するのですね。お米もお豆もお肉も皆私が生きるために菩薩になってくれているのです。

 でも、そのままでは私の生きるエネルギーにはなりません。そこで菜っ葉菩薩は又変身します。消化されて明王になって私のエネルギーになってくれないと困るのです。こんなふうに私は他の如来達に菩薩になってもらい明王になってもらい生かされています。次にそういった仏達がお互いのバランスを保ってもらわなければいけません。このバランスを取ってくれるのは天部です。

私はと言うと仏の世界で何か役に立っているのでしょうか、「排泄物」(肥やしか?)くらいでしょうか?でもこの肥やしも今では水に流されてどこでどうなっているのかわかりません。私の役目はほとんどないに等しい。

同じ如来でも大きな差がありますね、宇宙のような偉大な如来、救われている私という如来、だから全てをもらって生きている私はどちらを向いても手を合わせるしかありません。

私の祖母がよく言っていましたが、お茶碗に米粒を残しておいたり、お米をこぼすと「菩薩さんを粗末にするな」なんてよく叱られました。子供の頃はなんで菩薩さんなのかよくわからなかったけど、今になるとありがたかったですね。

その意味が何となくわかるようになりました。昔は大家族の中でこうして仏の世界を後世に伝えてきていたのですね。今は・・・・・・・・・

日本人の一番大切なことを誰がどうやって繋げていったらいいのか皆無です。

筆者 藤澤慎一

続々如の世界観

 

宇宙は無限の寿命をもって偉大な力で生き続けています。この力や働きにそれぞれ名前が付いています。たとえば宇宙の生命力、無限無量の力に名前を付けて無量寿如来(阿弥陀如来)と言います。浄土真宗の経の出だしに帰命無量寿如来・・・の一説がありますがこのことです(正信念仏偈)。善光寺などでは「無量寿」の額や掛け軸が売られていますね。つまり阿弥陀さんというのは死後の世界を司るのではなくて、宇宙に無量の寿命があってものすごい力で動いている。その力を人格化したものです。その力を形にしたの が阿弥陀如来像なのですね。また、蓮華蔵世界には如来それぞれに持っている力があります。共に実際には目には見えません。形であらわすと「慈悲」の慈です。では、働きなどはどう表現されるのでしょうか。菩薩達です「菩」は香草、「薩」は救済を意味します。多くの菩薩達にはそれぞれに働きがあります。「慈悲」の悲ですね。でもこれだけでは沢山の仏達がどん なふうに力を合わせて衆生を救いに来てくれるのか全くわかりません。広大な宇宙の中でこの仏達の力と働きを一目で理解できる物はないのでしょうか。仏の世界では仏達は東西南北上下に繋がってその先の東西南北でも東西南北上下に繋がって、又その先でも繋がっていきます。まさに無限の3Dの世界です。これを図にしたのが曼荼羅です。宇宙を図式化してしまうなんて、仏教ってすごいと思いませんか。わかりやすく言うと銀河系や太陽系・・・など、仏の世界でもそれぞれに曼荼羅(宇宙地図)がある,と言うことになりますね。私は曼荼羅の勉強はしていませんので、どの曼荼羅を見ればあなたの悩みを解決してくれるのかご紹介でき ませんが、ただこの曼荼羅の世界に身を置くことでほんの一瞬でもこの仏達と一緒になれる場所があります。私の知っている範囲では平等院鳳凰堂の内部です。 内陣の全ての彫刻や絵、装飾などが立体的に仏の世界を表現しているそうです。また、高野山などは地形的に八葉の蓮華の山々の中に寺院を建てたと言われています。その中心に寺院を建て大日様を祀ることで曼荼羅を表現したということです。弘法大師流の仏の世界の表現と言うことになります。金剛界、胎蔵界など高野山一帯は真言の仏の世界そのままなのです。日本には自然の姿を生かして仏の世界を現わそうとしているところが至るところにあるそうです。旅を兼ねて探してみるのも楽しいですね。つづく

筆者 藤澤慎一

「慈悲」とは

 

仏教の心・柱になるものはなんでしょう。それは「慈悲」だと言われています。

キリスト教では「愛」だと言われています。慈悲も愛も共に人が人を愛するということでは同じですが、男女の愛などは時に憎しみに変わることもあります。それに対して「慈悲」は親子の愛情を表わしています。どんな悪ガキでも親にとってはかわいい子供、親が子に対する愛情です「無償の愛」とでも言えばいいでしょうか。

形での表現は難しいですが、たとえば赤ちゃんを抱っこしている私を見ると絶対に倒れないという下半身の構え、何があっても手を離さないという手やひじの形、でも赤ちゃんを支える手はあくまでも優しく真綿のように包み込む。そんな形です。「慈悲を」分析すると「慈」はお父さんのように厳しい、「悲」はお母さんのように優しいということです。仏像制作では如来は「慈」、菩薩は「悲」を表現して作られています。我が家は逆のような気もしないでもないですが?

筆者 藤澤慎一

般若心経の心

 

般若心経は600巻から成る大般若理趣文経のエッセンスだけをまとめた経典だと言われています。その真髄は一言で言うと色即是空、空即是色につきます。如の世界観にもあるように仏の世界では生も死も存在しない常に動いている移り変わる世界を普遍的に現わしています。ある時は如来であったり、菩薩であったり、明王であったり、目に見えるものを色と言います。色が集まって空を構成しています。又あるときは如の世界にもどり目には見えませんが如去として空を構成しています。絶え間なく変化し続ける仏の世界を色即是空、空即是色で現わしています。つまり仏の一員でもある人間も同じ事、ある時は空の世界に如去として、ある時は如来として有るのです。私たちが常にこの感覚を持ち続けることで煩悩を捨て去り、穏やかに生きていけることをお釈迦様が弟子のシャーリブッダに説いています。この感覚はチベット仏教の経典の「死者の書」の内容と似ているところがあります。簡単に言うと死にゆく人に語りかける経典です。とりあえず如去として空の世界に行ってきなさい。いずれ又この世に如来として産まれてくるのだから恐れることはない。と言うことになります。「死者の書」はもっと深い意味のある経典ですので、一度読んでみてください。いずれご紹介します。つづく

筆者 藤澤慎一

飯山仏壇の危機と生き残る条件

 

私がこの世界に飛び込み修業を始めた1980年頃、飯山仏壇はすでに伝統的工芸品に指定されており、時代は高度成長期も一段落しオイルショック以後の時代の変わり目とでも言うべき頃でした。ちょうどそのころ松本民芸の池田三四郎氏に出会い、その民芸論を聞いて感銘しこの道で生きていく勇気が湧いたものでした。また時を同じくして東京藝術大学の中村先生の書いた伝統工芸に対するレポートを読む機会がありました。「今日伝統的工芸品に求めるものは物理的な有用性や便益ではなく、時代の試練を経て安定した芸術性を意味している。このことを単的に言えば今日手仕事が生きられる鍵は芸術性にあるということであろう。逆に言えば芸術の範囲に包含されぬ手仕事は機械に置き換えられる運命にあるといえる。機械と手は夫夫異なった目的を持ったところに存在しえるものと考える。その製品が形骸化した時点で工芸としての生命を失う。」の文章に出会い己の進むべき道が見えたような気がしたものでした。

ところが現実の飯山仏壇は形、塗り、蒔絵、金具など宗教的芸術のためか、誰が作っても同じものでしかありえなく、私の思う本来の工芸の姿ではありませんでした。その一因には伝統的工芸品に指定され伝統産業振興法などで,形や意匠、技術を固定されたのも大きな問題です。国の予算をつぎ込み一見保護しているように見えますが、実は過去の遺物にされてしまったのです。これは仏壇産業に限らず他の伝統工芸品にも言えることで、官僚の天下り先の資金源の組織・法律で日本の大切な手仕事産業が失いかけているのです。

ところが危機は意外なところから訪れました。海外製品の流通です。形骸化している製品だからこそ海外生産・量産化が可能であり価格競争の波に巻き込まれることになります。現実に職人の後継者がなく廃業を余儀なくされている関連業者も少なくありません。しかし、昔の飯山仏壇を調べて見るとその時代背景と生活環境を反映したものが多く、しっかりと時代に対応した形・仕上げになっていることがわかります。明治初期の飯山漆器が形を変えて仏壇の産地に変革したのも、先人の努力と新しい技術の習得が現在までこの産地を支えてきてくれたのだと思います。

「新たなものを生み出すことで技術を残し新しい産業を生み出す」私がこの仕事に関わってずっと抱いているテーマですが、現代は従来型の金仏壇ばかりではなく洋室にも置ける金仏壇、和木・洋木を使った物、ダイニングテーブルに置けるような小さな物や新たな祈りのスタイルが求められています。それに対応していくには新たな技術も必要ですし、伝統的な技術も駆使して生産していく、「あくまでも本物で」そんな努力が必要です。

 

信仰や宗教心を失いかけた社会、孤立化する家庭、日本人が大切に育ててきた心が失いかけています。大切な物を繋げていく社会が壊れかけています。それと比例するように仏間のない住宅、よりパーソナルなライフスタイル、など以前にもまして多様化、孤立化しているお客様に私たちは「ものつくり」を通して何をしていかなければならないのでしょうか?

技術があってこその産地です。価格競争の中で安易に輸入品を販売するようなことはせず、地道に地域の職人さんと価格競争とは別な新たなスタンスで「ものづくり」をしていく努力が必要とされています。本物が求められている時代です、新しい祈りのスタイルを提案して行きながら、お客様のお抱え職人としての立場で想いを形にしていく。そして、世界に一つだけのものを作り上げていく。先人の残してくれた知恵と技術を大切にしながら、作り続ける努力を惜しまないことがこの産地を次の世代に繋ぐ唯一の道のような気がします。

飯山仏壇が過去の遺産にならないためにも日々研鑽する毎日です。

筆者 藤澤慎一

お普通壇を創ると言うこと

 

ボクは宗教家ではありませんので仏壇職人の立場からしか言えませんが、つくづく考えさせられますね。元来日本人は宗教心よりも信仰心を中心とした農耕文化のなかに心のよりどころを求めて生活をしてきました。たぶん、縄文の時代から原始アミニズム(自然信仰)に根ざした信仰心が遺伝子の中に組み込まれてきているのだと思います。これはアジア全体に言えることで、農耕民族には自然現象や自然界に存在する物全てに魂が宿っていると信じられてきました。

アジアの民芸品の中には驚くほど多くの神様の仏像があります。川の神様や山、海、など、日本にも伝わってきた神もいます。オオヤマツミノカミ、オオワダツミノカミなどですね。ですから、台風や干ばつ、雷、等の現象やオオカミや熊などの危険な生き物など人に危害が加わるものには神が存在したわけです。

つまり食を得るにはお祀りをしたり、貢ぎ物をしたり、神さんとほどほどに仲良く暮らしていれば自然の恩恵にあずかり豊かな生活が出来ました。今でも存在している神道のベースになっています。と言うことは日本人の信仰の原点は神道と言うことになります。原始神道は村単位で山が神でした、山には神がいて先祖がいて、水や豊かな土を運んでくれ、そのおかげで海も育った。ご先祖様は経験的に山のすごさを知っていたのでした。ですから山は人が生まれてから死ぬまでの全ての生のよりどころに成りました。子供が生まれると山の神に報告に行き人が死ぬと山に返す。時代が進むと鳥居ができ、仏教の真似をして神社が出来ました。鳥居などは今では「通り居る」が通説になっていますが、アジアの中では自然葬の名残で「鳥が留まり居る」の意味があります。鳥に食べさせて天に返す、そして先祖になり山から子孫を見守る。いかにもアジア的ですよね。わかりやすい。

わかりづらくなったのは、古事記や日本書紀が編さんされてからですね。神道を皇族に向けてしまった。村単位の国をまとめるために民衆の信仰をうまく利用したのかもしれませんが民衆の身近な信仰の頂点が山から人になってしまった。それから数百年、本来の農耕民族の信仰はどこへ行ってしまったのでしょうか。なぜ、どの家にも神棚があるのでしょう。いや,置かなければいけないのでしょう。無くても良いのですけど、有った方が良い。色々考えられます。お仏壇よりも簡単ですし、先祖は居るし、神はいるし、日本人には都合が良い。つづく

筆者 藤澤慎一

 

お仏壇の話

李朝木工研究会

第1回「李朝木工家具概説」

講師 谷進一郎氏

会場 松本市 長野県工業技術総合センター環境情報技術部門 大会議室

日時 514日(土)午後1時から5

 

今回の概説ではその歴史的背景や社会構造、生活環境といった多方面からの解説をしていただいた。以前から家具といった一方向からの見方しかしていなかった私にとって大変わかりやすく、改めて李朝木工の歴史的価値観を再認識できた貴重な研究会でした。

特 に興味を引いたのは谷氏の蔵書の中にあった仏龕(ぶつがん)、龕室(がんしつ)でした。今後の仏壇つくりをするうえで貴重なヒントをいただいたような気が します。私は家具の世界から木工を始めたのではありませんので、今回の研究会での感想を仏教美術の観点に絞って木工あるいは漆工について述べたいと思いま す。

前出の英語の解説では

memorial tablet chest(龕室)][先祖の位牌を入れる箱。]

spirit tablet case(仏龕)][仏像や経文を安置するために壁面や塔内に設けられた小室、あるいは屋内に安置するための容器。]

と解釈されます。

どちらも日本では厨子と呼びますが、道教や儒教などの先進国である中国や朝鮮半島では使い分けていたようです。タブレットは位牌や経文を指すと思われます (位牌を作る習慣は道教から来ているようです)。当時中国大陸では儒教によって国が治められており、祖霊信仰の大切なアイテムだったようです。ちなみに当 時の仏教は僧侶や権力者だけのものであり大衆までは至っておりませんでした。(仏教は国営宗教でした)

日本でも聖武天皇の時代より政治のお手本が中国であり、国策として儒教を取り入れました。時を同じくして一部の権力者のものであった仏教の世界では弘法大師などは中国大陸より仏龕(ぶつがん)を持ち帰っており、金剛峯寺には国宝として収蔵されているそうです。

しかし、それ以前には7世紀に玉虫の厨子が存在しており一説には推古天皇の時代に制作されているようです。これも、仏像制作と同じく当時は朝鮮半島より工人が渡来しその技術を日本人に教え制作されたもののようです。

時代は前後しますがすでにこのころには仏教は日本に定着しており蘇我・物部の抗争の末に、国の統一のため東大寺を中心とした国分寺の建設などで時の権力者には仏教が利用されていた時代です。

いずれにしても日本における仏教美術の思想的な目標は中国であり技術的な師匠は朝鮮半島であったようです。日本人は双方をたくみに取り入れ風土に合わせて進化させていったようです。

日 本において面白いのは仏教と儒教の二本立てで政治を行おうとしていたところです。これは双方が日本に伝来する前から神道による祖霊信仰の土壌があったこと に起因するところが大きいようですが、ちなみに当時の仏教は一部の権力者のものであり大乗には至っておりませんでした。その後大乗に移っていく大きなきっ かけは最澄・空海の登場です。両者は当時の唐にわたり新たな仏教思想を持ち込み、その弟子(法然・道元・親鸞・日蓮)たちによって大乗へと民衆に浸透して いきました。

ここで仏壇の登場ですが、仏教が大衆へ浸透していくと親鸞を中心とした浄土真宗の一派でお内仏と称する厨子を使 う人たちがいました。これは西本願寺の本尊を在家の居間に安置するための箱でしたが、形は本山の内陣をそのまま縮小し箱に仕込んだものでした。これが後に 発展し大乗の各宗派で作られるようになって行きます。名前も仏壇です。意味とすれば龕室・仏龕の両方の機能を持ったものに進化していきます。なぜか形につ いては浄土真宗の形を踏襲しているのが未だに理解できないところですが、多くの思想を取り入れて発展させ多機能に作り替えていく手法がいかにも日本人的で おもしろいところです。(ドナルド・キーン氏と司馬遼太郎の対談「日本人と日本文化」などを読むとなるほどと思えるのです)

少し時代は飛びますが江戸時代に入り寺請制度などにより宗教選択の自由がなくなり(論語などの儒教的な思想は残りました)、明治維新により廃仏毀釈運動が起こり、大衆の中の仏教は衰退の一途をたどります。

現在は何とか江戸時代からの檀家制度のもとに地方では一部残ってはおりますが、民衆の生活環境にはほど遠い存在になりつつあります。それと同時に仏壇も従来のものでは生活環境や宗教の多様性にも合わなくなってきています。

こういった仏壇の歴史的背景と現在の住環境や宗教的な伝統を踏まえると、現代は祖霊信仰を中心とした宗教の多様性と住環境の個室化等、李朝家具に学ぶところが多くあります。

次の時代に日本人らしくどんな仏壇を作るべきなのかを考える上で龕室・仏龕・厨子は貴重な遺産として継承すべきであるし、原点に戻って作り込んでいくことも必要かとも思います。

筆者 藤澤しんいち